耕人塾「交人知愛」3号.doc
登米市耕人塾
塾長のつぶやき
第 3 号
令和3年7月31日
文責 千葉和彦
~開塾式に向けて~
心と体を鍛え,徳を養い,知を高める
7月20日には,運営委員・教学委員合同会議が登米市迫町森公民館で行われました。ほとんどの運営委員,教学委員の方々が,忙しい学期末にもかかわらず,顔を揃えて下さいました。ここで,令和3年度の活動内容が明確になり,さらに運営委員の役割分担,教学委員の仕事内容の確認を約2時間に渡って検討しあいました。
こうして,この日が来るまで多くの人々の支えがありました。
どんなことでもそうですが,一つのことを為すためには,まず,己の無力さを知ることだと思います。その上で,いかに多くの人々の力を借りていけるか。
私のような無力な人間は,その無力さを包み隠さずにさらけ出して事に当たることが一番大切。そこで,出会った人々の考えを受け入れ,咀嚼して,感謝の心で意見やご指導を取り入れる・・・・・
当たり前のことなのですが,すごく難しい。
私は若い頃,無鉄砲で,他の先生方から「梵天丸」と呼ばれていました。「梵天丸」とは伊達政宗の幼少の頃の呼び名で,わがまま,気ままで,人の話を聞かないという,正宗の幼い頃そっくりだったところからついたあだ名でした。
正宗がある師と出会い,「梵天丸も,かくありたい」と思うようになり,名将と呼ばれるまでに成長しました。
私の場合は周囲の素晴らしい方々との出会いがあったのはいうまでもありませんが,ある先生からの一言が大きく私を変えてくれました。
その言葉を紹介します。「我を非として向かう者は,我が師なり」
今も私のデスクマットに貼られています。
自分の考えと違う人や,自分を批判してくれる人こそが,自分を成長させてくれる人生の先生という意味です。人はともすれば,自分の都合のいい人だけを受け入れ,自分の都合のいいように事をなしたがるものです。
しかし,そんな自分主義な行動は心の領域を狭め,気がついたときには真の理解者はいなくなります。
志を高く持って生きるためには,まず人の話をよく理解し,我欲を捨てて,周囲を受け入れ,心の領域を大きくしていくことが大前提になります。そう,海のような全てを受け入れられる心をもちたいもの!!
この耕人塾で多くの人と出会い,,人間力を磨くために,心と体を鍛え,徳を養い,知を高めていきましょう。
石巻耕人塾 塾長 木村民男先生が登米市耕人塾の開塾式のためにお作りになった「民男流 志を高く持って生きるための十か条」を資料の中に入れましたのでご覧ください。